革命は地方から:島根が生んだアニメクリエイターとプログラム言語開発者
2006年04月11日
特別に意図しているわけではないのですが、このブログで取り上げる話題も東京中心となることが多いようです。奇妙な偶然ですが、本日島根県で活躍している人物の話を2つも見つけることができました。最初に紹介するのは、島根の地でFlashアニメーションに出会い、活路を見出した小野亮氏のエピソードです。情報源は、個人アニメ作家にFlashがくれた“力”です。
長文のきじなので、抜粋することにします。まずは映画監督を目指していた小野氏の東京でのクリエイター生活の状況から。
末端のクリエイターは、寝る間もなく働いても月給たった10万円――そんなケースが珍しくなかった。配給会社や出版社──出資者──が要求するクリエイターが作りたい作品とは一致しない。クリエイターの立場は弱い。クリエイターが所属する制作会社は、下請け。生活が困窮し、能力があっても辞めざるをクリエイターも見てきた。
一方で、巨額の製作費を出せず、コンテンツ不足に悩むメディアも多い。作りたい物を作りながら、クリエイターにもお金が回ってくる仕組みが、ネットを使えば作れそうな気がしていた。
結局小野氏は、活動拠点を島根に移します。こうして訪れた制作環境の変化から、初めてFlashに手を染めることになります。
役者もスタッフもいない島根では、実写映像の制作は無理。ストーリーを作り、声色を使い分けながら音声を録音し、あらかじめ描いておいた絵と組み合わせ、Flashで簡単な動きをつけた。テレビアニメと比べると動きは極端に少ないが、ストーリーやせりふ回しで勝負。ストーリーを、数時間から数日で作れるノウハウを確立した。
作品「菅井君と家族石」は、黒人ソウルミュージシャン家族が島根に移住し、極貧にあえぎながらもいくというギャグストーリー。島根で苦しい生活を続ける自分自身の境遇を重ね合わせていた。
ウェブで公開した「菅井君と家族石」は、1日に4万ページビューを稼ぐ人気コンテンツになりますが、残念ながら収入には全く結びつきません。
作品をテレビ局に持ち込み「アニメコンテンツが必要な時に声をかけてください」と売り込んだが、反応はほとんどない。妻の稼ぎを頼って食いつないでいた。生活は困窮し、出産費用の50万円も払えそうにない。
ローソンの店員になろうと本気で考えたが、妻に止められた。食いつながないと――賞金付きのコンテストを見つけては「菅井君~」を出品したが、落ちた。
この苦境を救ったのが、近所の海苔店「海産物松村」でした。「菅井君~」のキャラを使ったネットCMを、ECサイトに掲載してくれたのです。これをきっかけにして、大手企業のクライアントからのCM制作依頼が増え始めます。
東芝EMIの「セックスマシンガンズ」のCMや、リクルートの就職サイト「リクナビ」企業のガイダンスCMなど、大手企業の仕事も受けた。
ポイントゲートが運営する「CMサイト」が、小野さんが温めていた新アニメ「古墳GALのコフィー」を、独占で借り上げてくれたのだ。そんな発想で作ったといい、月間15万ユーザーが視聴する人気コンテンツに育った。
CM制作で腕を磨いた小野氏は、本格的なアニメ作品に乗り出します。この4月には、新作「秘密結社鷹の爪」がテレビ朝日で放送されることになり、映像作家として念願のメジャー・デビューを果たしました。
もう1つは、島根県在住のプログラマーが作った言語が、同県の公式ウェブサイトに採用された話です。情報源は、島根県のWebサイト,“地元発”の技術Rubyでアクセシビリティを強化です。
島根県は4月、同県の公式Webサイトをリニューアルしアクセシビリティを強化した。(1)音声合成による読み上げ、(2)ふりがなの表示、(3)文字の拡大、(4)文字色の反転(弱視のユーザー向け)をWebブラウザだけで行うことができる。新サイトは島根県に在住のまつもとゆきひろ氏が開発したオープンソース・ソフトウエアRubyで構築された。
システムの開発は島根県のIT企業であるネットワーク応用通信研究所が担当し、オープンソースのオブジェクト指向言語RubyによるCMS(コンテンツ管理システム)上に構築した。Rubyはネットワーク応用通信研究所に在籍するまつもとゆきひろ氏が開発し、米国でも書籍が刊行され、カンファレンスも開催されるなど世界的に普及しており,プロジェクト管理サイトBasecampや、音声コンテンツの共有サービスODEOなど、Web 2.0的とされる多くのWebサイトで採用されている。
まつもとゆきひろ氏のユニークな経歴について、まつもとゆきひろ 日本発オブジェクト指向スクリプト言語Rubyの作者より抜粋します。
まつもとゆきひろ(松本行弘)は1965年4月14日大阪で生まれた。クリスチャンの家庭で育ち早くからキリスト教的環境になじんだ。4歳のとき米子市に移った。前が本屋さんだったので、ずっとそこに入りびたりだったそうで、早熟な知識吸収欲だ。
中学2年の時シャープのポケットコンピュータPC-1210(ピタゴラス)を父親が買ってきたらしく、まつもとはBasicを覚えてプログラミングしたらしい。持ち前の知識欲で、にプログラミング関連の書籍を立ち読みで読破。プログラミングが好きになった。
米子東高校時代に、月刊アスキーに掲載されたSmalltalkに関する記事を読んだのが、オブジェクト指向との出会いだった。この頃からまつもとはプログラミング言語を作ってみたいという夢を持つようになった。
その決心を確かめるように筑波大学に進学し、コンピュータ科学を専攻した。しかし、在学中に2年間休学して、末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教会)の宣教師として日本国内を活動した。宣教師とペアで布教活動をするうちに英語も使えるようになった。
復学するとコンパイラについての著書がある中田育男教授の研究室で勉強した。1990年に卒業した後もプログラミング言語の研究を続ける。まつもとの基本ポリシーは、「できるだけ少ない規則で大きな範囲をカバーする」洗練された文法をもつことと、そしてそれは「思考の流れをさまたげない」できるだけ人間に近寄った言語を作ること、でもある。
プログラム言語とキリスト教の取り合わせには意外感を感じますが、同氏の個人サイトMatzにっきを読むと、現在でも宗教的な活動も継続されているようです。
都会に住む人間は、島根と聞くとすぐに過疎化のことを連想してしまいます。実際には豊かな自然環境が、独自のクリエイティビティをはぐぐむ効果があるのでしょうか。今回紹介した話は、まさに「革命は辺境から」を表すものかもしれません。もちろん辺境という言葉を使ったからといって、島根を蔑視しているわけではありませんので、ご理解のほどを。
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