2003年4月に発足した産業再生機構(IRJC)が、当初予定を1年前倒しして、明日15日に解散します。その解散を前に、再生案件を陣頭指揮したきた冨山和彦専務(COO)のインタビュー記事が、日経産業新聞に掲載されました。
情報源は、『市場規律から逃げるな、再生機構・冨山氏に聞く日本企業改革』(日経産業新聞 2007年3月14日 22面)です。
――日本企業の問題点はどこにあったのか。
「再生機構はまず不良債権を抱え傷んだ金融セクターの問題を、(債権買い取りという)外科手術で解決した。そうしないとフレッシュマネーという血液が循環しないからだ。だが、慢性的問題があった。(1)製造業中心(2)加工輸出型(3)右肩上がりの成長(4)連続的な技術革新――という4つの前提で構築された産業モデルの改革だ。このモデルは自動車や精密機器では効果的だが、不連続な技術革新パターンをたどる産業、例えばIT(情報技術)やバイオでは国際競争力を持てない」
――そのことは企業経営者もある程度認識していたのでは。
「認識はしていた。しかし変えられない。たとえて言えば、ずっと野球をやってきた人たちに、サッカーをやれと言っても切り替えられない。激しく動き、バックスでさえ時折シュートを放つサッカーを、守備範囲が固定した野球の方法で戦おうとする」
後述しますが、冨山氏は基本的なポジションは決まっているものの、ダイナミックに役割が変わるサッカーの例えが好きなようです。
――再生機構は支援先企業で、その体制をどう変えたのか。
「取締役以上の経営陣の選び方を根本的に変えた。年功序列にとらわれず、40~60代の幅広い人材の中から本当に最適な人を選ぶよう心掛けた。そうすることで、我慢していれば偉くなれるという意識を変えた」
――30代以下はなぜ対象外なのか。
「経営には人間に対する洞察力が必要。30代はやはり一般的に言って、経験に基づく洞察力という点で子供が多い。従業員、株主、取引先といった存在も最後は人間だ。六本木ヒルズ族と称されたネットベンチャー企業の悲劇は子供が経営したことだ。人間観が単純で、何でもカネで買えると思った」
20代の若者には起業はできても、色々なしがらみのある問題企業の再建は難しい、ということでしょう。しかし、機構が支援先の企業に送り込んだ幹部の中で、パフォーマンスが上がらずに途中交代したケースがあったことも、冨山氏は認めています。
再生機構の人材については、冨山氏は昨年の週刊AERAの中で、次のように語っています。情報源は、『産業再生機構の仕事人たち』(週刊AERA 2006年7月10日号 12ページ)です。
専務の冨山は、再生機構に「メジャーリーガー」を採用し、束ねてきた。自身、「筑駒東大」という「エリートの王道」を歩いてきた。しかし、こう言う。
「受験は、だれかが用意した答えに時間内にたどりつく力を競う。でも社会に出たら、答えはどこにも用意されていない」
チームリーダー役の「マネージングディレクター」は「昔からの友だち」に就任をお願いした。価値観を共有する人たちだ。
では、若い人材はどう選んだか。
冨山はまず「公のために働くスピリット」を挙げた。次が「ストレス耐性」。さらに、「専門分野の殻の中に閉じこもらないこと」だという。
「サッカーでも、DFが得点することもある。ピンチの時はFWも守る。セクショナリズムはだめ」
若きビジネスマンにアドバイスを求めると、こう答えが返ってきた。
「有名な会社でまじめな部下をしていても通用しない。自分の頭で考えていれば、決断する力が生まれる。残念ながら、これには、マニュアルはない」
冨山氏が言うように、事前に用意したマニュアルにない出来事が起こるのが世の常です。清算業務を残すだけになったはずの再生機構自体も、想定外の出来事に見舞われて頭を悩ましています。情報源は、『産業再生機構は想定外の儲け 利益400億円はどこへ』(週刊AERA 2007年3月19日号 83ページ)です。