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形式知は学べても暗黙知は学べないMBAの限界を認める一橋大学野中教授

2007年05月23日

前回は、MBA取得者やコンサルタントが陥りやすい分析偏重の弊害について投稿しました(MBAより実践経験の重要性を説く冨山和彦経営共創基盤社長とミンツバーグ)。米国流の分析手法ばかりが重要視されることの危険性に関しては、一橋大学大学院の野中郁次郎名誉教授も指摘しています。情報源は、日本企業に蔓延する「分析まひ症候群」 傍観者はリーダーではないです。

経営は主観的で経験がものを言うアートなのか、あるいは分析的で数値で測れるサイエンスなのか。単純な二者択一では語れないでしょう。若い頃は「マネジメントはサイエンスである」と主張していたんです。言語化できないものがアートである以上、長嶋茂雄さんの打撃論を他人がいくら聞いても理解できないように、人間の集団を1つの方向に束ねていく経営がアートであってはならないと。

ところが、最近はむしろ反対の意見を主張するようになりました。サイエンスの部分が強くなりすぎて、アートを切り離していった反動で、経営が現場から乖離して傍観者になっていく。悪貨が良貨を駆逐する現象が、まさに日本企業の現場で起きている。

米国流の成果主義を導入し、情緒的な人事評価を排して合理主義に移行したはずの日本企業は今、リーダーの不在に苦しんでいます。その理由は、一見もっともらしいビューティフルなパワーポイントの分析に頼り、現場の現実を感じ取る能力を軽視する「分析まひ症候群」にある。そんな気がしてならないのです。

この以降記事は、野中教授が専門とするナレッジマネジメントに話は及んできます。

私はこの数年間、「知識創造理論」を発信し続けています。人間の知は2つの側面を持っている。1つは言語で表現できる分析的な「形式知」です。IT(情報技術)が得意なのは形式知に属する知と言っていい。もう1つは主観的で経験的な「暗黙知」にほかなりません。経験は簡単に言葉で伝えたり、説明したりすることはできません。

イノベーションを生む組織は、形式知と暗黙知がダイナミックなスパイラル運動を繰り返し、組織の中で知を増幅していく機能を持っている。最近の日本企業は、このバランスを崩してしまったのではないか。そう危惧されてならないのです。

分析まひ症候群に陥ってしまう企業と、そうでない企業とはどこが違うのか。この10年間、戦局が逆転した世界史上の戦争を分析し、『失敗の本質』『戦略の本質』という2冊の本をまとめてきました。経営もまさにそうですが、最後に戦局を分けるのは、実践的な知恵に裏づけられたリーダーシップの優劣なんですね。

実践的な知恵、あるいは実践的な合理性というものを、もう少し分かりやすく説明しましょう。法律を例に取ると、明文化された法律そのものは形式知の典型で、一般論に過ぎません。現実の裁判では、法律の条文を参照しつつ、事件や事故が起きた状況や環境を考慮して、何が正しかったのかという判断を下すことになる。さらに、その判断は社会の持つ倫理観を反映し、「共通の善」に基づいていなければ意味がありません。

共通の善を信じながら、生きた現実の中で最適な判断、ジャッジメントができる能力は、非常に質の高い暗黙知なんですね。一般論だけで判断ができるなら、MBA(経営学修士)を修めた人材が最も優秀な経営者になるはずですが、リアリティーを経験したことがない人間には高質な暗黙知など望めない。倫理観や審美眼の伴う判断力を発揮できるのは、美徳のある職人と言いますか、優れたアーティストに限られる。経営者も職人もアーティストでなければ務まらないのです。

一般論に対しては威力を発揮する形式知に明るいMBAも、暗黙知を学ぶ経験を積まなければ、アーティストたる経営者としての成功が約束されているわけでなない、というのが野中教授の主張です。実践経験の重要性を説いているところは、前回の投稿の結論とまったく同じと言っていいでしょう。

それでは、果たして暗黙知を効果的に学ぶ方法はあるのでしょうか?

本音を言えば、ある種の徒弟制度を取り入れない限り、高質の暗黙知など伝えられないのかもしれません。本田宗一郎さんはげんこつで弟子たちを鍛え、ぶん殴って鍛えた人間を偉くしていった。ただし、いつまでもげんこつでは次世代の経営者が途絶えてしまうから、形式知で「ホンダフィロソフィー」を作り、世界で共有できる言語に落とし込んでいきました。現在の福井威夫社長は本田宗一郎さんを否定してみせる。「その代わりに全員が本田宗一郎になれ」という形で伝統を受け継いでいこうとしているわけですね。

結局のところ、高質な暗黙知はマニュアルなどでは伝えられません。伝えられるのは、人的なネットワークしかないんです。暗黙知は人を選びます。人を選んで自分の思いを伝え、修羅場も経験させながら、必要な部分を言語に落とし込んでいく。

注目すべきは、野中教授が「本音を言えば」と断った上で、仕事の現場で人を介さなければ、暗黙知は伝わらないと述べている点です。現在同教授が務めている一橋大学大学院国際企業戦略研究科は、国内MBAスクールの先駆け的な専門職大学院の1つです。その著名MBAスクールの教授が、MBAの授業を受けるだけでは経営者に必要な高度の暗黙知は習得できない現実を、潔く認めていることになります。

一方、いまだにMBAを取得することで将来の経営者としての基本はマスターできた、と勘違いしている学生もいます。Master of Business Administration という名前のせいかもしれません。MBAはあくまでも形式知を効率的に学習する場所でしかなく、将来本当の経営者になれるかどうかは実践経験次第といった厳しい現実を、MBAスクールの最初の授業でまず教え込むべきでしょう。

形式知としてのノウハウの結晶と呼べるのが、コンサルタントが多用する「モデル図」です。マネジメント論の始祖と呼ばれる故ピーター・ドラッカーも、実はモデル図の横行には批判的でした。情報源は、ドラッカーのIT経営論です。

「ドラッカーはモデルが嫌いでした。膨大な著作の中にも、モデルや図をまったく入れていません」。

ドラッカーの著作を長年訳してこられた上田惇生氏にこう言われ、なるほどと思った。ドラッカーの本をあれこれ見てみると、確かに文字だけであって、コンサルタントが書いた本に必ずといってよいほど出てくるモデル図は皆無である。

上田氏によると、コンサルタントや学者がモデル図を作り上げ、そのモデルに採用した言葉の定義を説明することに対し、ドラッカーは「時間の無駄」と言っていた。

この発言には注釈が必要である。上田氏は、「モデルの限界を十分理解した上で使うのであれば、ドラッカーは否定しない。ドラッカーは、限界を知らない人、あるいは限界を説明しない人を嫌った」と語る。

モデルの限界とは何か。社会や企業は生き物であり、変化するから、固定したモデルですべてを割り切れないということである。マトリクスであれば、ある定義にそって境界線を引く。その境界線は不変ではなく動く可能性がある。そのことを頭に入れてマトリクスを使うのであればいい。そうではなく、モデルの境界線や座標軸が絶対と思ってしまったら、大きな間違いを犯す危険がある。

モデルが便利な道具であることは間違いない。優れたモデルを使うと、物事の全体をうまく整理でき、気が付かなかった課題を見出せる。現場の各論の解決に走り勝ちな日本企業にとって、各論をいったんモデルの中に置き、優先順位や課題の整理をすることは意味がある。ただし、美しい絵を描いただけで物事は進まないし、いったん進み出したとしても絵の通りにはいかない。臨機応変が必要である。

論点を「見える化」するのには最適なモデル図も、限界を知った上で利用すべし、ということです。したがって、形式知の集積で気しかないMBAやモデル図の有効性を過信していはならない、が今回の結論です。しかし、暗黙知の継承はマニュアルではできない点のみを強調し過ぎると、「団塊世代の大量退職に伴う2007年問題」を喧伝する輩が喜びそうな結論になってしまうのには、別の懸念もありますが...。


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